令和6年 5/11 11:37
天理教櫻井大教会所属 天理教鳥見山分教会所属
天理教鳥見和分教会長三代会長(父) 三村元治 満67歳
が出直しました。
出直しの時
父の出直しがいきなりすぎて、家族みんなはなかなか現実を受け入れることができていません。
- 5月4日
ゴールデンウィークに入って僕は将来のお嫁さんになる彼女を連れ、6月15日に籍を入れる報告と6月9日に両家顔合わせとしばらく同棲をしたいという報告を両親に話をし挨拶をしました。
父はとても嬉しそうな顔をしてくれ、とても喜んでくれました。
彼女がうちの実家で一晩泊まってくれたのもとても嬉しそうにして、帰る時も「また遊びにおいでや」と彼女に一言。
彼女も「新しい可愛いお父さんができる」と喜んでいました。
僕は彼女と同棲スタート。
父は「出て行くんか……」と。
僕は「また月次祭も帰ってくるし、今だけや。」と言い。家を後にしました。
- 5月8日
上級の婦人会のおつとめにも参加し、いつもと変わらず元気につとめてくれました。
この日は彼女に予定もあり、僕も実家に忘れ物をしたので、仕事終わりに実家に帰ってきて、
9日の朝までいましたが、父は変わらず元気でした。
- 5月9日
父は憩の家に診察に行きました。
実は、もともと父は生まれた時から体が弱かったのです。
生まれてから病気で、立って歩くようになったのは5歳になってから。
僕が生まれる数ヶ月前の当時39歳の時、脳内出血で入院したことがありましたが、手術はせずに脳内で血液を吸収してくれ、ほとんど何もなく退院することができましたが、もやもや病を発症しました。
その脳内出血の定期検診で、約30年間ほど病院に通っていました。
この日の診察も問題なく、母にもLINEで「大丈夫やった」と伝えていたようです。
病院帰り、櫻井詰所で主任をしている上級の前会長で父の兄(僕の叔父)に会いに行き、「問題なかったわ。来月な勇蔵のとこの彼女のとこと両家顔合わせするねん」と嬉しそうに話をしていたようです。
父も母も楽しみにしてくれていました。
- 5月10日
僕も姉も彼氏彼女と同棲を始めておりましたので、実家には父母妹の3人。
父は寂しそうにしていたみたいですが、この日も変わりなく元気に朝を迎えていました。
母は出かけ、妹は職場へ。
父はいつも通り教会を守ってくれていました。
母が夕方帰ってきて、玄関の扉を開けたら父の頭があり倒れていたようです。
その時には父に意識はなく、いびきをかいていたようです。
母は最初寝ているように思ったみたいですが、口から戻しているの見て様子がおかしいと思い、すぐに救急車を呼び、家族全員に連絡をし、みんなで岸和田の病院に向かいました。
そして脳外科の先生から家族全員で話を聞きました。
結果は「かなり深刻です。私も長年見てきましたが、これほどの出血はほとんど見たことがありません。手術をしても本人を傷つけるだけでどうにもならないと思います。」とのこと。
家族は、目を覚ましてくれる奇跡を信じ、おさづけをして交代で見守ることにしました。
ICUに運ばれ、人工呼吸器などたくさんの管に繋がれた父を見てとてもかわいそうに思いました。
母も姉も妹も泣きながらも声をかけ、体もさすりながらしっかり見守ってくれていました。
- 5月11日
姉が一晩見守ってくれ、早朝もう一度家族全員集まりました。父は落ち着いていたので、姉兄妹は一旦家に帰り休むことに。
母が見守ってくれていましたが、10時30分ごろ母から、「すぐに来て」とパニックになりながら電話がありました。
急いで病院に行くと、心拍数がかなり下がっていました。一度0まで下がったようですが、家族全員集まると少し心拍数が戻りました。
父も嬉しくて安心したんでしょう。
それから1時間後、「ぴーーーーーー」と心拍数が0になりました。
家族全員泣き崩れ、今までのお詫びとお礼の連呼でした。
11時36分。父は脳内出血で出直しました。
おかげさまで倒れた時にどこにもぶつけることなく、外傷も無い綺麗な状態で出直すことができました。
父は幼い頃と39歳の時に出直すタイミングがあったのにも関わらず、神様に救けていただき、姉も僕も妹も立派に育ててくれ、教会長として33年つとめてくれました。
出直したその日からたくさんの方が顔を見に来てくれ、みんな声を揃えて「ただ眠ってるみたいやね。今にも動き出しそうな綺麗なお顔で….。」と言ってくださいます。
教会長としての父
父と母は後継者のいない教会、鳥見和分教会へ両養子で「三村」として継ぐことになりました。
鳥見和の二代会長が出直され、父が三代会長として就任することになりました。
教会長としての父は、せっかちで頑固でわがままな人でした。
父母は何もわからない岸和田の土地でにをいがけ・おたすけに勇んでくれました。
とても苦労したと思います。
僕には想像もつかないほど苦労してきたんだと思います。
父はひのきしんおばけでした。
教会にあったボロボロの家や小屋を1人で壊しました。
暑い日も草引きや剪定をして、家族が「暑いからやめとき」と言っても
「今やるんや」と言ってやりきってしまう。
頑固でわがままで自分の体が傷だらけになるまでひのきしんをする人でした。
信者さんには人の5倍頭を下げる人で、困ったらすぐに駆けつけ解決をする、心が低い教会長の鏡でした。
親としての父
親としての父は、家族大好き人間でした。
僕たち子供達には過保護なくらい気を遣ってくれました。
「あれはしたんか?」「これ届いてたで」「あれしたろか?」「これしたろか?」と….。
時には「鬱陶しいなあ」と思うこともありましたが、不器用なりの最高の愛情を僕達に注いでくれました。
そして母のことが大好きで、一番頼りにしていました。
何かあれば「お母さん」「おい、お母さん」と呼んでいました。
「私はあんたのお母さんと違う!」と母が怒っているのを一度聞いたことがあります。(笑)
そんな父の声。「園子」「京子」「勇蔵」「千夏」と呼ぶ声が聞けなくなることがとても悲しく、
寂しくてたまりません。
父は足が悪かったので足を上げて歩くことができず、いつも足を擦って歩いていました。
その音がうるさくてうるさくて、、、(笑)
寝ていてもその足音で目が覚めるほどなんです。(笑)
そんな足音も聞けなくなることもとても寂しく思います。
お通夜・告別式
5月11日父が出直し、5月13日お通夜。14日告別式となりました。
13日のお通夜には約80名の方がご参列くださり、14日の告別式にも約70名の方がご参列くださいました。
こんなにもたくさんの方がご参列くださりとてもありがたい限りです。
棺の中で固まっているはずの父の顔が周りが賑やかで嬉しいのか、にっこり笑っているようでした。
父の通り方が、こんなにもたくさんの方が来て下さったのだと思います。
父は家が大好きでしたので、家から式の会場に出発する時、少し怒った顔になっていました。
「どこに連れて行くねん。俺は家がいいねん」と。
13日の夜、お通夜が終わり、家族で父と一緒に会場で泊まることになりました。
たくさんの方に顔を見てもらい嬉しい顔をしていました。
家族だけの空間になるとさらに安心したかのような顔にもなっていました。
そして、みんなが寝静まった後、夜中に3回誰かの足音で起こされたんです。
その音は、父のいつもの足を擦って歩く音でした。
家族以外の皆さんにしてみれば怖い話かもしれませんが、父は最後に、家族みんなの寝顔を見て回っていたんだと思います。
安心してくれてよかった
父はとても安心したんだと思います。
父は僕が天理高校第二部に行ってから行動が活発になったんですね。
先ほどお話しした家を壊したり、小屋を壊したり、そのゴミの処分や、土地の管理など、
僕が教会長になってから苦労しなくていいように使命感のように自分の体がボロボロになってでも教会の中を綺麗にしてくれていました。
そして令和5年ごろから父が安心するような出来事が増えていきました。
姉が彼氏を連れてきて結婚を前提に同棲をするということで挨拶に来ました。
父は喜んで喜んで(笑)
令和6年になってからは、僕が教会長資格検定講習会に行きました。
そして、僕の将来のお嫁さんも連れてきて、結婚をしたいという話と、彼女が一晩うちで泊まるということでとても喜んでくれたんです。
さらには、妹が天理の憩の家で勤めていましたが、退社し、4月からうちに帰ってきて一気に賑やかになったんです。
目の届くところに子供達がいて、心配していた姉や僕の相手さんの顔も見れてとても安心したんだと思います。
僕ら子供からしたら、「結婚式に連れていきたかった。」「孫の顔を見せたかった。」「おじいちゃんにしてあげたかった。」「もっとあんなことをしてあげたかった。」「こんなこともしてあげたかった。」と思うことがいっぱいあります。
しかし、父の中では安心したんでしょうね。
教会も片付き、子供たちへの心配が減り、思い残すことは無くなったんでしょう。
生前、父と関わってくださった皆様には本当にお世話になりました。
また、生前通り、私たち家族にご支援賜りますようお願い申し上げます。
とーちゃん。
今までありがとう。
ほんまに心配もかけたし、言うこと聞かへん子供達やったやろうけど、
見離さず、しつこく面倒見てくれてありがとう。
とーちゃんのお陰様で、僕ら家族は幸せでした。
かーちゃんといっぱい苦労してくれたおかげで僕ら子供達は何も苦労することなくここまで過ごすことができました。
寂しがり屋で1人が大っ嫌いな人やのに1人で先に逝ってしまって….。
ほんまに死ぬ時もせっかちなんやから……。
かーちゃんは子供達みんなで守るから。支えるから安心しいや。
ほんで、家族も教会も信者さんもしっかり守ってください。
出直したからって休めると思ったら大間違いやで。(笑)
これからも見守ってください。
これまで育ててくれてありがとうございました。
三村家 家族一同
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